人の智慧、業、汗こそが、大切な暮らしの資源です。 職人の仕事こそが、豊かな暮らしを映す鏡です。 そんな思いが、いまぼくらの心に、切実に蘇りつつありませんか? 青原さんのこの映画は、誠実に、真っ直ぐに、そういうぼくらの願いに応えてくれます。 失われた大切な日本の何かを、さあ、ぼくらよ、どうしよう!
私たちのくらす日本列島。 その独自の風土から生まれた伝統的民家のカヤ葺き屋根。 芸州(広島)は、その屋根葺き職人の輩出地である。 芸州職人の技術とはどんなものか、 その手が、体が、覚え伝えてきたものは何か。 職人たちの足跡をたずねるこの映画の旅は、 また汲めども尽きぬ芸州人風土記でもある。
藝州屋根屋に焦点をあてた映像記録は、 これまで類例がなく大変貴重なドキュメンタリーであり、 学術的資料としても価値が高い。 西日本では、茅葺きの屋根はいちはやく姿を消し、 研究としても困難な状況となかばあきらめていた。 この映画で広島に藝州屋根屋の仕事が今でも残っていることを知り 驚いたと同時に、おおいに研究意欲をかきたてられた。
建築関係が全く疎い僕でも「分かる」かやぶき。 出てくるじいちゃんたちが語る情報以上の「魅力」。 過剰な「訴える」感のない、極めてナチュラルな人たちだから、 ラストのオチにも「ははっ」とほっこり笑える。
私の実家は瀬戸内海の能美島にあり、かつては茅葺きであった。 幼い頃、大きな竈と井戸のある台所は、私の大好きな遊び場だった。 屋根はとても高く天窓がついていて、 そこだけ四角いガラスの向こうには、いつも空が見えていた。
屋根の葺き替えを終えて、「よ〜し、完成」という職人さんの声を聞いた時、 葺き替えられた部分が、今回は葺き替えられてない部分と渾然と一体化していたのに感動した。 和むとか、馴染むとか、融和とか、代謝とか、移ろいとか、舫いとか、結いとか、 全体がふう〜と一つの統一をつくりながらも、 それぞれがそれぞれの位置を占めていた。 そこに、日本の風土みたいなものを感じた。
熊野町や東広島市などに残るかやぶきのたたずまいや 農村の四季の移ろいも描かれている。 画面に登場する住民らは、生き生きと語っている。
自然の素材を使い、美しく機能的な屋根を造り上げる技術は感動的だ。 さらに広島の屋根職人が、西は筑豊地方、東は滋賀県まで出稼ぎして技術を伝えた歴史にも驚いた。
青原の作業は「ヒロシマ」の古層へ、さらにいえば「ヒロシマ」に凝縮される さまざまな「近代」の問いへといざなってくれる。 かやぶき職人の「手」に、子どものようなまなざしを向ける 青原さとしの作家性が満ちた『藝州かやぶき職人』に、 私たちも子どものようなはしゃぎっぷりで驚く。 そこには、もうひとつの「世界」がみえてくるはずだ。