上映会随想記

 
 
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『土徳−焼跡地に生かされて』2003年上映会随想記


●2003年10月4日 広島市安佐南区沼田町浄宗寺 
横川での上映は、広島の浄土真宗のお寺さんの間でかなりひろまったようだ。上映期間中、沼田町の浄宗寺さんから連絡があった。「うちのお寺は、車で行けば、30分で映画館にいける距離なんですけど、なんせ門徒さんはお年寄りが多いし、交通手段も少ないですから、『土徳』をうちの本堂でできないでしょうか」横川の興行が終ったらということで即返事をした。
16時頃、釈徳水住職が、我が家まで迎えにきてくれ車で向かった。私は、沼田町というところは、町名は知ってはいたが、行ったことがなかった。近年完成したという道路を北西に行く。街中をどう入ったのかトンネルを超えると、なだらかな丘陵状の山並みに囲まれた谷筋に出た。道路の両脇は、美しい棚田だ。広島市の中心部からちょっと移動しただけなのに、こんな鄙びた風景があるのかと驚いてしまった。住職が言った。「昔からこの辺は、山仕事の人がほとんどですよ」沼田町大字阿戸・浄宗寺についた。
上映する本堂に案内された。すでに業者さんが、映写機器を設置していた。
なんでもこれまでコンサートや映画会などよく開催されてきたそうで、ジャズの坂田明氏も招かれたことがあるそうだ。こんなのどかなところに非常に前衛的なイベントとその不釣合いさが、なんとも微笑ましい。
約60人ぐらいの門徒さんが徐々に集まり上映が始まった。冒頭、父親が歌うシーンでまず、みんな大笑い。以後上映が進むなか、深刻なシーンは黙ってじっと見ているが、少しでも可笑しいシーンは、みな大爆笑。他の地域では決して笑わなかったシーンまで笑ってくれる。(製作者は笑いをとるために挿入したのではないシーンまでも)かつてこれほど映像に同調してくれるお客さんがあっただろうか。おそらくお坊さんの法話を聞く感覚でご覧になっているのだろうか?その
素朴さに、感動してしまった。
上映終了後、門徒総代と役員の方が、挨拶にこられた。「わしら、あの映画に出とった沖田さん(戦前の地図を描いた炭屋さん)や奥田さん(河川敷でインタビューした元・材木屋さん)は、よう知っとる
。材木をあそこまで運んだけえのう。」かつてここ沼田町は、木材の産地であり、この谷筋から大田川まで材を運び、広島市域まで流していたのである。生活基盤をもとにした山間地と都心部のつながり。なにかとても豊かで、広い風土や歴史のつながりを感じた。まさに土徳であった。

●2003年10月5日 広島県賀茂群大和町
私の叔父(母の弟)は、広島県の中央南部にある大和町の徳正寺の住職である。叔父は、真光寺の上映会で『土徳』を見て以来、ぜひ大和町でも上映させて欲しいと希望され、以来、地元のホールで上映することを目標に3ヶ月ぐらい前から、専用のチケットやチラシを作製するなどして、近隣近在のお寺や門徒さんにアピールに精力的に努力していただいた。当初、小規模なものかなと想像していたので、当日になって驚いてしまった。400人収容のホールで二回上映をして1日で650人近くの方々に来て頂いたのである。場内びっしりとつまったお客さんの視線をあびながら、舞台挨拶をするとなにか地域暮らす人たちの力強さを感じた。二回の上映の間に懇親会があり、お客さんとまじえて会食した。お客さんの中には何人か被爆体験を持つ方もいらっしゃり、お一人お一人、後世に伝承していくべき深い人生を生きてこられた方々のように思えた。
これほど盛況であったのに、私は、上映前から叔父には、たいしたサポートができず大変申し訳がなかった。

●2003年10月17、18日 東京都 多摩パルテノンホール ドキュメンタリー映画特集核への挑戦!
 グループ現代の川井田氏は、当初から「いつかうちの『ヒバクシャ』と『土徳』を同時上映しましょう」と約束してくれていた。それが、意外な形で実現となった。「核への挑戦!」という表題で「核」にまつわる映画を特集して6本一挙上映しようというのだ。「核」という一つのテーマ映画を集めて上映するというのは、なかなかないことではないだろうか?非常に楽しみであった。私の作品以外は、ほとんど硬派な社会派ドキュメンタリーばかりである。なにか『土徳』だけ異質な感じがして、こういう場に入れてもらってよいのだろうかという気持ちさえおこった。
『ヒバクシャ』。以前見ているが、改めて途中から再見。この作品は、本当に同時代性をとらえたタイムリーな映画だと思う。特にイラク・アメリカ・日本広範囲な取材には、圧巻。ただ長崎の被爆者の方の扱いがなんとなく疑問に思う。
『にんげんをかえせ』米から被爆直後のフィルムを買い取る10フィート運動の第1作となった金字塔!かつて私は、広島育ちの人間として、こういう原爆ものの記録映画には、少々うんざりした気持ちが、どこかにあった。ところが今見ると、1984年の広島の風景にただなつかしい気持ちで見入ってしまった。
 『世界は恐怖する−死の灰の正体』ドキュメンタリーの大御所・亀井文男監督による放射能の恐ろしさを科学的に解明する作品、ドキュメンタリー映画史では、力作とされている。私は、46年前に製作されたこの映画を初めてみた。モルモットを使った放射能の科学実験など丹念に撮り、その科学データーを細かく提示したあげくに実際に当時広島に暮らしておられた無頭児の方を比較するように登場させているのには、愕然としてしまった。この映画は、公開当時、被爆者差別として問題にならなかったのだろうか。なにか見終わっていやな思いが残った。亀井監督という大先達を私のような若輩者が、論評するのはおこがましいかもしれない。しかし、この映画の製作姿勢は、広島長崎の被爆者を「検査」と「実験」扱いしただけで去っていった米・ABCCの姿勢となんら変わらないのではないだろうか。
 『戦争と平和−非暴力から問う核ナショナリズム』インドのアナンド・パワルダン監督によるビデオ作品。3時間近い作品だったが、グイグイひきこまれてしまった。素晴らしい作品だ。ガンジーの葬儀から始まり核保有国と化してしまったインドとパキスタン。ヒンディーイズムやブッディズムが、軍国主義の融合していくすさまじさ。そしてアメリカ、ヒロシマへと核の意味を問うていく。最期にインタビューをうける広島の方は、安芸門徒ではないだろうか?後でこの作品が広島で上映されていないと知り、ぜひとも上映できればと思った。
『夏休みの宿題は終らない』六ヶ所村を記録してきた山邨伸貴氏とその家族が、イギリスとフランスの核燃料施設をと村の人々訪ね歩くホームビデオドキュメント。終了後、監督夫妻のトークがあった。自主制作で、ここまでの取材を成し遂げ、作品完成後も取材先の村々へ巡回上映をしてまわったという。私も同じ立場であるので大きな励みと刺激になった。
2日間立会い、この種の映画祭は、広島でこそ開催されるべきだと思った。

●2003年10月25日26日 大阪市西区九条 シネヌーヴォ
約1ヶ月ぐらい前だったと思う。大阪・シネヌーヴォの景山理氏から急遽連絡があり、上映番組の調整がうまくいかないので10月末から『土徳』を上映したいと。シネヌーヴォは、大阪では老舗のミニシアターである。支配人の景山さんは、一般に陽の目をあびない映画を情熱的に発掘、上映されてきた。私と同じ京都の龍谷大学出身だそうだ。映画館内は、76席で横川シネマと雰囲気が似ている。
『土徳』は10月7日にプレス試写を行い1ヶ月もない期間で広報活動していこうというのである。10月25日から31日まで1週間の上映で昼から夜まで1日3回も上映してくれるという。反面、大丈夫かなあという不安が頭をよぎる。とにかくあわてて大阪の知り合い関係者をリストアップし、チラシ案内を送っていただいた。短期間ながらスタッフの奥三紀氏は、広報にかなり努力していただいた。
上映初日舞台挨拶のため訪阪。2日間滞在した。理想ほど多くのお客さんではなかったけれど、大阪のお寺さんや門徒さんをはじめ、龍谷大学生、映画ファンの方々など様々な種々相にきていただいた。
景山さんがいった「今回は、広報が行き届かなくて申し訳なかった。特にマスコミが、戦争ものは夏に掲載するものといって、関心を示さなかったのは、残念だった。戦争や原爆をテーマにしたものが、夏のみのイベント行事と化してしまったには、はなはだ疑問に思いますね。でも青原さん、これから『土徳』は、最低でも1万人にみてもらうことを目標にしてください。」1本の映画にかける情熱は、生半可ではいけないのだと興行のプロに言われ、威をただされた気持ちになった。
大阪で上映期間中以下のお二方が各サイトで賛辞をくださった。以下抜粋
  「 今年の長篇記録映画のレベルは高く、すでにこの欄で紹介した『ヒバクシャ』や『障害者イズム』は、長く日本  映画史に刻んでおきたい記録映画だが、ここに紹介する『土徳―焼跡地に生かされて−』もまた、原爆被害を受  けた広島の地の、ローカルなお寺の話ながら、檀家とともに、お寺を復興させた住職の、極私的な家族史を、お  寺を継がない次男の立場から描いた感動記録で、プライバシーが、普遍的な広島復興史につながって行くとい  う、稀有な成果をあげている。これもまた、長く日本映画史に刻みたい長篇記録映画なのである。」
                             ( 2003.10.20 木寺清美 「日本ジャーナリスト会議・映画の鏡」l
  「 約2時間の長編だが、まず褒めたいのは青原が生前の淳信を11年間も撮影していた根気良さと、青年時代   の淳信のエピソードを血縁者が淳信の母や妻たちに扮してドラマ化したという勇気。これらは画面構成と編集   の巧妙さと合わせて、青原が映像作家として映画の製作に精通していたから出来たことだろう。ドキュメンタリ   ーの在り方に一新機軸をもたらしたといえば大げさだろうか。」
                              (難波一の「試写室の覗き窓から」 2003年10月第2週

●2003年10月28日 東京都新宿
シネマ下北沢で上映期間中、お客さんであった吉田悦夫氏というかたが、ぜひ自主上映をやらせていただきたいとの打診があった。 吉田さんは、東京中小企業家同友会新宿支部の役員をしておられる方である。 新宿区の中小企業の社長さんの集まりで上映会を開きたいというのである。吉田さんはいう「今、同友会も地域との関わりが非常に重要なテーマとなっていますので、そういう意味で『土徳』を上映したい」と。
もともと『土徳』という映画を映画館での興行をめざしたのは、まず最初のうちは、できるだけ宗教性や政治性を排除した場で上映をしたかった。宗教PRや平和運動のために製作したのではないからだ。そういう意味で吉田さんからの依頼は、非常にうれしかった。参会者20名ぐらいのこじんまりとした会であったが、大変有意義な会であったと思う。