上映会随想記

 
 
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『土徳−焼跡地に生かされて』2004年上映会随想記


●2004年1月 随想記番外編 「新作映像記録」編集開始!
昨年、12月末、広島移住がほぼ確定した。「広島市まちづくり市民交流プラザ」という所で「ビデオ映像講座」の講師を依頼されたのだ。2月末から講座を開始したいとのことなので、緊急に引越しを決めたのである。
しかし18年暮らしてきた東京をいざ引っ越すだんになると、何かやり残したことはないかとあれこれ考え始めてしまう。どんどん追い込まれた末、1ヶ月もない期間で新作をまとめることにした。
私は、1999年頃から、五反舎(ごたんしゃ)という森林ボランティアに参加している。東京在住の人たちのグループで私とほぼ同世代の人たちである。高尾山の麓で、下草刈り、間伐、枝打ちなどを遊び感覚で楽しく山仕事する会である。
2000年7月、五反舎のもとに、
地元の西浅川山林組合長・大塚義宥さんという人が訪ねてくる。

「昭和 61年の雪害以来、放置されたままの共有林がある。いっしょに活用の道を探りたい。」
大塚さんに案内された裏高尾町小下沢 (こげさわ)のスギ・ヒノキ林は、14年間人が入らず、荒れていた。ここにツリーハウスやフィールド・アスレッチック場を作って、都会人の癒しの森にしようということになったのである。
.作業は、まずブッシュと化した山の道作りから始まった。 岩の多い斜面にツルハシを振るい、唐鍬でならす。一度に 70mぐらいの道が、着々と築かれていく。
地元の人と都市生活者による共同作業。私は、凄いことだと思い、五反舎と大塚氏に了解をいただきビデオで撮影することにしたのである。道作りの作業は2年続き、諸事情により現在中断している。
私は東京を去る前になんとかこの撮影分をまとめなくてはと思い至ったのは、やはり「土徳」を仕上げてからだと思う。都市のなかに地域性というのは、どれだけ残されているのか?この記録も「土徳」と同じ気持ちから撮影を開始したのである。「土徳」ほどの撮影量ではないが、ブッシュと化した山に一本の道を作ることに専念する人間の営みのおもしろさが提示できた作品になると思った。
引越しの段取りもそっちのけで、編集を始めた。並行して、数回、追加撮影も行なった。自宅の日野駅から高尾駅を何度か往復した。15分でつくのかと改めて驚いた。というのは、日野に暮らすようになったのは、2年前で以来『土徳』の編集でひきこもり状態だったから、日野から高尾に行くのは初めてで、高尾山に登るのも、2年ぶりだったのだ。やはり東京もいい山があるものだと再認識。大塚氏や五反舎の人々ともひさしぶりに会い、つっこんだ話し合いをした。なにか東京を去ることになって初めて私にとっての東京の「土徳」を味わっているような気持ちになった。
作品は、 『山踏み』というタイトルに決定した。「山歩き」「山歩きをする人」という意味の古語だそうだ。

この道作り作業および五反舎内部での上映会にいたるまでの経緯は、野沢清子氏のHPにも詳しい。