上映会随想記

 
 
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『土徳−焼跡地に生かされて』2004年上映会随想記

●2004年2月29日、3月3 広島市まちづくり市民交流プラザ
引越しも落ち着かぬまま2月27日より、広島市まちづくり市民交流プラザで、「ビデオ映像製作講座」が始まった。プラザは、100人を収容するホールや、ビデオプロジェクターを備えた部屋、40台のコンピューターを備えた部屋など映像機器を動入したなかなかすごい所である。この部屋を使って平成15年の事業ということでとりあえず入門編を3月末まで6回受け持つこととなった。受講生の方は、27人も申し込んでいただいた。最年長がなんと84歳で最年少が19歳であるが、半分以上が50代60代である。ほとんどの受講生が、ビデオ製作をしたいがために申し込まれたのだ。ビデオの普及率も伸びたものである。急遽特別講座として『土徳』を上映することとなった。さすがにみなさんの感想も「(原爆のことで)自分の身近な人を思いだした」とか「私は真光寺の近くにいた」とか、非常に地元らしい感想が聞かれた。


●2004年3月5日、6日 石川県金沢市 金沢コミュニティーシネマ
いよいよ浄土真宗の一大拠点・金沢での上映となった。 金沢コミュニティーシネマ推進委員会が主催でシネモンドという映画館が共催で開催される。私は2月に広報のため金沢を訪ね、シネモンドの松井さんの案内で新聞社、雑誌社、ラジオ局、ケーブルTV局など1日で7軒もの取材を受けた。広島につぐ取材量であったので、私自身この金沢での上映は、期待も多かった。 上映会は、若者向けの商店街にある「竪町ホール」で、1日4回上映され、3月5,6日の2日間行なわれる。 初日に到着すると、あまり天候がすぐれず、非常に冷え込んでいた。

室町時代、本願寺第8世宗主・蓮如によって北陸一帯は、浄土真宗が、飛躍的に広まった。金沢は、歴史的にも広島以上に真宗が深く浸透している地である。
浄土真宗には、11の派があり、京都の西本願寺を本山とする本願寺派と、東本願寺を本山とする大谷派が最大の派である。江戸時代に本願寺は、政治的な意図の下に東西に分断された。全国に点在する末寺は、文字どおり列島の東側に大谷派、西側に本願寺派の寺院が集中している。寺壇制度が確立したおりにそうきまったのだろうか?その理由は聞いたことがない。
とにかく金沢は、大谷派の寺院が圧倒的に多いのである。 私の実家の真光寺は、本願寺派であるため、大谷派のお寺さんとはあまり面識がない。ところが、今回、大谷派金沢別院の方が、新聞で『土徳』のことを知り、急遽、別院の広報誌に上映会のことを掲載していただいたのである。

上映が、始まった。まばらなお客さんであったが、大谷派のお寺さん、門徒さんが、ほとんどだった。
ト−クの時間、年配の男性の方から質問が出た。「私は、浄土真宗というのは、縦社会と思います。監督さんはどう思われますか?」やはり来たかという気持ちだった。突然ふられたので、答えにつまりながらも、私が作品中に真光寺に下寺というものがあったり、寺町に判僧の方々が暮らす長屋があったことなどを探索したのは、まさに縦社会であった事実の歴史を知りたかったからであり、その事実を知ることから、自分が生まれたお寺の意味を探ろうとしたというようなことを答えた。するとそのお客さんが、「真宗のお寺の封建制」について延々と語り始めた。その口調や話し方は、お寺へのあからさまな不満がいっぱいのようであった。答えたいことや、いいたいことは、たくさんあったのだが、ここで反論や意見を述べているとかなり時間がかかりそうに思えた。すると別のお客さんが、「私はこの作品は、真宗社会がどうしたというべき作品ではなく、親と子の絆について深く考えさせられる作品だと思いました。」なにかお客さん同士でまとめていただいたトークになってしまった。
その晩、会場を出ると激しい大雪だった。シネモンドの松井さんが、懇親会を設えてくださり、お客さんから大谷派の僧侶3人、大学生2人の方々が、参加してくれた。富山県の城端町からかけつけてくれた「大福寺」というお寺さんから、「11月の報恩講にうちのお寺で上映させてください。その時は2日間で1日2回ぐらい上映をして、門徒、僧侶が、青原さんを囲んで車座になって話し合う時間も設けましょう」
翌日は、民映研の映画を金沢で上映してくれていた経験もある足立さんが、手伝ってくれた。足立さんの関係者が10人以上も来てくれた。
やはり天候の関係もあったのだろうか、金沢での上映は、予想ほどの客足はなかったが、新しい人のつながりもでき、ありがたい上映会であった。広島へついた途端、大福寺さんから、思わぬ連絡があった。「あの後、まわりのお寺さんに映画のことを話したら、早くみたいからもっと上映が早まらないかとみな言うので6月初旬に上映ができないか」
私はすぐOK返事をした。

 

●2004年3月14日 埼玉県桶川市 響の森さいたま文学館
昨年、夏、シネマ下北沢で『土徳』をご覧いただいた大塚幸子さんというお客さん(「土徳掲示板」2003/8/8にも感想あり)が、映画にいたく感動していただいた。 「極私的土徳観賞促進活動」と称し大塚さん自らの友人知人の方々に広くアピールしていただいた。下北沢の上映のみならず、関東各地で上映が行なわれるたびに数人のお客さんを呼んでいただいたのである。ところが、今度は、埼玉県桶川市の親戚の叔父さんに自主上映会の推薦までしていただいた。叔父さんの大塚昭吾さんは、快諾してくださり、一気に実現の運びとなった。3月の日程が決まるや、幸子さんが、「せっかく桶川でやるから、新しい桶川オリジナルのフライヤーと案内ハガキを作りたい」との意向があった。あまりの熱情に私は恐縮するばかりであった。幸子さんはコピーライターだそうだ。仲間のデザイナーの方々と共同作業で非常におしゃれで素晴らしいチラシが出来上がった。「青原くんちの8.6物語」という 自分には、思いもつかないキャッチコピーが添えられ作品の質がよくわかるチラシである。やはり広報媒体というのは、他人が客観的な視点で作った方がいいようである。 (これまでのチラシは拙作)

3月14日上映会当日、桶川市響のさいたま文学館にぞくぞく人が集まる。14時一回のみの上映である。100人以上のお客さんがいたのではないだろうか。個人が主催されてこれだけの集客力に驚いてしまった。主催の昭吾さんは、これまでフィリピンのゴミの山で暮らす子供たちを追った『神の子たち』やインドネシアの”従軍慰安婦”問題を扱った『マルディエム〜彼女の人生に起こったこと〜』とドキュメンタリーの上映会を二回、この桶川で開催されている。それだけに人のつながりも広いのであろう。
その夜は、昭吾さんの家に泊めていただき、幸子さんをはじめご家族やご親戚の方々とも会食することができ本当に楽しいひとときだった。桶川は、近年女子高生殺人事件などでも話題となった新興住宅地である。『土徳』がこの地で反響をいただいたのは、ご覧いただいたお客さん自体に大きな切実感があるからだと思う。「土徳掲示板」(2004/4/14)にも転載した桶川のお客さんの感想には、そのことが端的に語られている。


★以上2004年3月をもちまして「土徳上映会随想記」は、終了とします。
  次回4月からは「安芸国人・聞き撮り日誌」と題し、これまでの「上映会日誌」も続けながら、私が広島を拠点とした新たな活動・『土徳 第二部』向けての製作ノート(フィールドノート)も併せて掲載します。
月1単位で連載していきますので請うご期待ください!