安芸国人・聞き撮り日誌

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安芸国人・聞き撮り日誌・6月第一章


●2004年5月30日〜6月2日 上映会随想記 大福寺上映会 富山県東砺波郡城端町大窪

5月30日(日) くもり
 
前の晩、高速バスで広島を立ち、早朝大阪でJRに乗り換え、夕方に富山駅についた。駅で大福寺の奥さんが、車で迎えてくれた。奥さんがいった。「うちの方は、金沢駅の方が近かったんですけどね」


広大な砺波平野の田園にぽつりぽつりと屋敷林のある家が散在する。浄土真宗大谷派・大福寺は富山県東砺波郡城端町大窪というところにある。
大窪地区一帯はかつて山田郷と呼ばれ、江戸時代初期、新田開発された村である。





各地から開拓にきた約400軒ばかりの農民たちは、真宗門徒であった。彼らは、自分たちの村に真宗道場・大福寺を建立した。門徒たちは移住前の各村にある手次寺とも縁を切らないまま、檀家のないお寺として大福寺を今日まで支えてきたのである。


お寺に到着すると太田浩史住職が、部屋に案内してくれた。

棟方志向、柳宗悦などの書画の掛け軸や焼き物が、通りすがる廊下や部屋のいたるところに飾ってある。現住職および先代の故・大田利男氏は、民芸協会の会員であり、利男氏は、昭和20年代に棟方志向、柳宗悦らの民芸運動の同士でもあられたのだ。
凄いお寺によばれたものだとあっけにとられていると、奥さんが、「あっちの部屋で御花講の方が呼んでおられます」と別の部屋に招かれた。

二人の老人が、酒宴をしており「監督さん!一献やらんといかん」と誘われた。このお二人は、城端別院に仏花を活ける「御花講」の講中だそうだ。大福寺の門信徒でもあり、大福寺の仏花は、必ずこのお二人が奉仕として活ける。
農家であるお二人は太く無骨な手でお猪口をあおりながら、拉致問題とイラク問題など白熱した議論を展開する。そして、最期には「自分とは何か」の問題に集約されていった。お坊さんさながらの会話には、圧倒されてしまった。

明日、この大福寺で永代祠堂会(えいたいしどうえ)という法要が2日間営まれる。その法要で『土徳』が2日間・4回にわたり上映されるのである。

5月31日(月) 雨
朝9:00、永代祠堂会は、住職の勤行から始まる。

つづいて、住職の法話と私の挨拶、午後映画上映と話し合いがあり、夜にも映画が上映される。同じ日程が明日も続き、映画は計4回上映されることになる。本来、永代祠堂会は、他寺院の僧や布教使を招いて数日間勤行と法話が繰り返されるのである。
雨にもかかわらず参詣者の方々が続々と参集された。



勤行の後、太田住職の法話が始まった。

昭和20年、棟方志向が、福光に疎開していました。戦争中ですから食料なども、一番苦しい時ですね。そんなときにお寺は、毎月かならずお座・法話会をやっていました。どこのお寺も毎月1回やる。そうしますとお寺は全部満員となるんですね。いま豊かな時代になって余裕がでてきたら、お寺に人は来んようなった。その頃お寺は全部満員。
で棟方さんは、その頃、東京で柳宗悦さんから指導をうけてました。柳さんは棟方さんの絵とか版画を、「どうしても『我』が入っとる。これがなかったらいいのになあ。」と評す。ところが棟方さんは「そう言われても我はとれん、どうしていいかわからん。でもとらにゃあならん。」棟方さんも悩んどった。そして棟方さんが福光へ疎開して1年。柳宗悦さんが様子を見に来たら、びっくりした。全然違っとるんやね。こん時に、棟方は一つの目を開いた。だから世界が棟方になった。

柳先生は、「しかしお前、どうしてそう急に変わったんだ」と聞いたら。棟方は「いや別にただお寺へ参った」
「ふーん、お寺へ参ったか。そしたらよっぽど素晴らしい高僧の方に出会って、教えを受けたんだね」
「いやいや、この辺の坊さんはろくなもんじゃない。いばっとるし、酒ばっかり飲むし、あまり勉強しとらんし。ところが、坊さんは頼りないけどそこへ来る門徒さんがすごいんだ」と。
「このへんのお寺参りをしとるうちに、畳の上に門徒さんらといっしょに座って、時間をすごすうちに、知らんうちに私の絵がこうなりました。」
  普通やったら圧倒的な力量をもったえらいお坊さんが、おれについてこいと。ほんで弟子が坊さんの真似して半分もできればえらいと。こんなの普通でしょう。ところが真宗の場合は、坊さんが一番たよりないんですね。ところがみんなでひとつの道場に集まって、いろんなことを語りあっているうちに自然に、心の「我」がとれる。そしたら我がとれるということは別のもんが入ってくる。これが「徳」。「徳」いうのは自分でこしらえたものではない。

柳宗悦さんは、民芸運動やってこられるなか、焼き物やら自分の我の入らないものこそが一番美しいんだと仰るんですね。芸術というのは我の塊みたいなもんだ。みんな芸術家がえらいえらいって言いますね。芸術家が作ったものは珍しいし、変わっとるし、ほめたたえる。柳先生は、美というのは、そんなもんじゃないんだと。自分らが何の気なしに使っとるようなのが一番美しいんだと。安物で、美しいものを作ってやろうと作ったんじゃなくて、知らんうちにできたもんが、実は素晴らしいと。何でかっていうたらそれには「我」がないから。
美というのは、弥陀の本願が働いたものだ、もっといえば、自分の我でこしらえたものは、美でないんだ。それは美しいかもしれんけど。それは「相対の美」。つまり美しいけどうっかりすれば醜くなる。醜くなりたくないからがんばって一生懸命、美にしがみつく。
  それに対して「絶対の美」これは人間の思いでこしらえるのでなくて、弥陀の本願、他力というものが働いてできる。こういうことを仰るんですね。そういうものがまさにこの砺波地方に働いておる。これは単に昨日今日できたものではない。おそらく蓮如上人以来、ずーっと500年にわたってここのご先祖方が、代々継続して、仏法というものを喜んできた。そういうものが一つの力になった。その力が、このあたりの人間の生活にもあるし、大自然の中にも染み付いておる。そうするとそういうところに入ると人間は意識せんでも自然に救われていく。心が開かれ、明るくなる。「我」がとれていく。そして柳さんは、こう仰った。「これを私の造語で『土徳』とする。真宗は土徳の宗教である」

 
午後、スクリーンや暗幕が本堂内に設えられ、上映開始前になると近隣近在の門徒さん方が、朝以上の数集まってくださった。100人以上は、来られていると思う。すごい上映会になりそうだ。

6月1日(火) 晴れ 
昨日に引き続き、勤行、法話、上映が続く。まるでマラソンのようだ。もともと上映は、昼と夜の二回だったが、この日の朝、石川県の小松市や、富山県の上市町など車で2時間以上かかる遠方からこられたお客さんが多かったので、朝も上映することになった。

大福寺の総代長の加藤平次郎さんが、今日も元気よく「お賽銭お願いします」と賽銭カゴを参詣者に差し出す。
この竹製の柄の長い賽銭カゴは、参詣者から賽銭を徴収するための道具で、勤行や法話、上映の前後にかならずタイミングよく出される。私はこのような習慣を初めて見た。
後で聞くと、かつて真宗のお寺ではどこでも見られた光景だそうだが近年、都心部のお寺では、お布施を出したのにさらに強要されるみたいだという声が多く、廃止されたそうだ。
よく真宗僧侶の説教が、落語や浪曲などの文化の源流であるといわれるが、この賽銭カゴを見ているとそれを彷彿とさせる。

お客さんの中には、昨日も来て頂いた方が、何人もおられる。映画を二回も三回もご覧になってくれているのである。「何回か観ることで映画がよく理解できました」とか「お父さんの法話を聞いているようでまた観に来ました」とかありがたい感想をいただいた。朝の回が終って次の回の準備をしていると本堂の中に一人ポツンと座ってお弁当を食べているおばあさんがいた。次の回も続けてご覧になるようだ。そのおばあさんは、私のところに近寄ってこられた。そしておもむろに「これをとっておきなさい」と500円玉をポンと渡された。やはり僧侶と芸能者は、同類であることを確信した。
夜19時・最終回。さすがにお客さんの数は減り、15,6人であったが、この会のお客さんは、城端別院や岐阜県高山市の別院の方など僧侶の方々が多く集まられた。私が民族文化映像研究所時代にお世話になった上平村教育委員会の道宗氏もこられ、非常になつかしい思いがした。

上映の最終回は、お客さんの人数が手ごろだったので、上映後、車座になってそれぞれが映画の感想や意見を言ってくれた。
「土徳こそ、ご本尊であり村の氏神であると思った」
「映画の中で青原さんのお父さんが『土徳はなくなる』と言われ広島の話だけど自分の地域のことを思わずにはおられなかった」
「私は百姓やっておりますけど、家におると孫とも話の接点がなく、土徳の継承をこれからどうやっていけばいいのか考えさせられた」
「浄土真宗地域の土徳は、真宗だけではなく村に真宗以前から伝わるお祭りなど様々な文化があって土徳を土徳たらしめてきたのだと思う」
「私はいまの年になっても父親と対話することがなく、今日の映画は自分の父親と話をしているような気がした」

どの方々もみな一同にこの作品を「自分の問題」として受け止めていただいたようである。
自分の身と心を考えることこそが、「土徳」を「土徳」たらしめていくのではないかとあらためて思った。
これまで日本各地で拙作を上映してきたが、これだけ長い時間かけてお客さんと対話ができる上映会はなかったように思う。これは素朴な道場の気風を残す大福寺だからこそ実現したのであろう。本当に有意義な上映会だったと思う。

6月2日(水) 晴れ 富山県東砺波郡城端町西上

広島に帰る前に太田住職が城端別院・善徳寺に案内してくださった。

善徳寺は、文明3年(1471)、加州に蓮如上人が開き、栄禄2年(1559)に当地に移築された。天正13年(1585)本願寺が、豊臣秀吉と講和するまで、瑞泉寺、勝興寺と並び、越中一向一揆の拠点寺院として活躍した。



文化6年 (1809)の山門。複雑に組み込まれた軒下の斗?(ときょう)や、緻密に掘り込まれた扉の木彫に圧倒される。境内には、山門を作った大工棟梁の碑がある。



本堂の脇の「お花部屋」に案内される。善徳寺では、365日無休で勤行と法話が営まれる。毎日、供えられる仏花は、城端町民によって結成された「お花講」が、奉仕で活けるのである。



ずいぶん老朽化し風格さえ感じさせる「庫裏」






庫裏の脇に倉庫があり、たくさんの樽が安置してあった。
太田さんが語る。
「これは、さば寿司で、報恩講のときのお斎(とき)に出すもんです。これを漬けるためのお講・さば寿司講があるんですよ。全部、町の人たちで組織されてます」




庫裏から台所に案内される。 別院の高島浄心さんが、熱っぽく語る。
「この囲炉裏は前はもっと大きかったんです。11月の雪囲いの時や報恩講のときなどに門徒のみんなあつまって、ここで暖をとりながら、談合(膝をまじえて本音で語り合うこと)をしていたんですね。
昔、『越中・能登・加賀三カ国、善徳寺門徒たるべくそうろう』といわれるくらい多くの門徒の懇志によって善徳寺は成り立ってきました。いまでも実際それで動いてます。かつては1千カ村といわれてましたからね。」

善徳寺は1672坪の敷地で29棟もの建物がある。まるで迷路のような入り組んだ廊下を歩いてゆく。途中で一人にされたら、おそらく迷子になってしまうだろう。
封建時代やお寺の格式を伺わせる部屋へ次々と案内される。



赤いじゅうたんの敷かれた「御殿」。
床下には、しじみ貝の殻が敷き詰められている。
湿気防止と忍びの者が来た時に足音で知らせるためだという。










二重構造になった廊下。一方は殿様や本願寺の法主などが利用し、一方は一般僧侶が利用するだそうだ。







「大納言の間」は、桃山時代の建築をよく現しているとされ、慶長九年(1604)加賀藩主・前田利長が宿泊したといわれる。




高島さんが熱弁をふるう。
「これは平成13年に修復をさせてもらいました。柱などそのままです。
この床柱。普通床柱といったら、紫檀とか黒檀とか柾目とか、そういう経済に応じた柱ですよね。
ところがこれはそういうりっぱな柱じゃないんですよ。割れとったりね。にわか作りするような木なんですよ。
特にこの木なんか完全に虫食いですよ。400年たったからこうなったんじゃなく、当時、建てるときからわざわざこういう木を選んで使っているんですよ。
これは、建築の先生が仰ってたんですけど、この柱はかようなことを語っているように思えます。
『殿様よ、あなたを雨露からしのいでいるのは、こういうその辺にあるような柱、いやそれ以下の柱であなたを雨露からしのいでいるのですよ。それと同じようにあなたは、大衆、いろんな人の力によってあなたを守っているのですよ。この柱はいわば落ちこぼれですけど、この脇床に立って仕事しとる。これも生きとる。』ということを教えてくれているんです。」

こういった神社仏閣は、これまで私も京都・奈良など日本各地で、何度もみてきた。しかし今回の城端別院で驚かされたのは、その大伽藍を作り支え維持してきた民衆が、現在も目に見える形で生きていることである。それが「講」という地域を基盤にした組織であり、それこそ土徳を形成してきた根幹なのであろうと改めて思った。


 

●2004年6月15日 上映会随想記 教法寺上映会  広島県安芸郡江田島町


私の父・青原淳信は、昭和2年に実母を失い、 幼稚園から小学校の8年間を広島の江田島教法寺に預けられた。

父とってはいわば第二のふるさとである。




そのあたりのいきさつは映画のなかでもふれ、江田島の方々も何人か登場されている。
その意味でも教法寺での上映はぜひとも実現したかった。






現住職・鷹谷俊昭氏がこころよく承諾してくださった。
「6月の法座でやりましょう」






40人ぐらいのおばあさんやおじいさんたちが集まっておられた。






みんな画面に食い入るように見入っていた。
江田島のシーンがくるとざわめきがおこり、
古い教法寺の写真などが登場すると
みんなおどろいたりうなずいたり
そして涙をぬぐう人。




上映終了後みなさんが帰り始めると、数人の方が、
私の方に歩み寄り一言一言仰りさってゆかれる。
「ありがとうございました。」
「なつかしかったです。」



     昨年の5月、実家の真光寺本堂で上映して以来、
     各地の映画館やホールを転々とまわり続けた『土徳』上映の旅。
     私の思い込みであろうか、第二のふるさと・教法寺の本堂に映し出される父を見ていると、
     なにかどっしりと落ち着いて観客に語りかけているように思えた。