安芸国人・聞き撮り日誌

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安芸国人・聞き撮り日誌・8月第二章

青原地区の仏教行事・四万八千日

●2004年8月9日 四万八千日準備  広島市安佐南区祇園町青原地区
 

青原地区の年中行事、6月の大利神社の「田休み」に続いて8月は歓喜寺の「
四万八千日」である。
季節に応じて休むことなく、
仏教行事、神行事と順繰り行なう青原地区の皆さんは感嘆にあたいする。
こんな都心部に近い地域には、大変珍しいことではないだろうか。




猛暑の中、当番の人たちが汗だくになって準備を始めた。
床掃除、内陣の飾りつけ、幟立て、幕張り、提灯取り付け…






恥ずかしながら四万八千日という行事を私は初めて知った。
調べてみると、広島では宮島の大聖院でも行なわれ、全国的には長野県、群馬県、埼玉県、神奈川県、千葉県と関東甲信越に多いようだ。他地域にももっと分布しているのかもしれない。




全国、ほとんどが8月9日か10日に真言宗のお寺で行なわれ、観音さんの法要であり、縁日であるようだ。
ここ歓喜寺も観音さんの法要として準備を前日におこない、8月10日に営まれている。





「四万八千日ゆうて、正確には四万八千日法要でしょうね。私らが聞いとるのは、一日お参りしても四万八千日参ったご利益があるゆうて。
ここだけじゃなくて、私ら子供の頃にも、親に連れられて参りよったですけどね。己斐の上の方に滝の観音ゆうてやはりちょっとしたお宮があってね。そこへよく参らされよったですがね。」


●2004年8月10日 四万八千日法要  広島市安佐南区祇園町青原地区


以前にも記したようにこの歓喜寺には廃仏毀釈で手を切られた仏像や神像が多く祀られているが、中心になるのは、三体である。






4月・大師縁日の弘法大師、5月・花祭りの薬師如来、そして8月・四万八千日の観音。
現在、これらの法要はすべて祇園にある浄土真宗・勝想寺の住職が勤めている。




「そもそもここは、真言宗のお寺じゃけえね
そういう意味で真言宗のお寺がつぐのが本当じゃろうが、このへんで寺をしよってんがほとんど浄土真宗じゃけえそんで参りに来よるんでしょ、参らんでもええゆわれりゃあ参らんですけど。(笑い)」




 

青原地区に伝わる安芸門徒の古層



鎌倉時代から戦国時代にかけて安芸一国の守護職としてこの地域に居をかまえた武田氏。
青原地区の人たちが伝える年中行事をはじめとした一年の生活と文化は、時代によって変遷はあるかもしれないが、おそらく武田氏の時代から受け継がれたものも有しているに違いない。



●2004年8月21日 オソブツさん  広島市安佐南区祇園町青原地区


青原地区の人たちは、すべて浄土真宗の門徒である。
私は浄土真宗のお寺の生まれであるが、青原地区の人たちとの出会いは、驚きの日々だった。
真宗門徒が真宗の仏事と並行して神事や他宗派の仏事を営んでいるのを目の当たりにする機会なんて、
あまり経験がないからだ。
青原の人は、真宗にまつわる行事を執り行う組を「同行(どうぎょう)」と呼ぶ。
青原地区の東さん宅を訪ねた。
東さんは「顔は撮らないでね」といわれ、話の録音だけでもとお願いしたら、なんとか了解していただいた。



青原「それなんて呼んでたんですか。」
東「あのうオソブツさん。昔はみな出して飾りよったんです
がね、今こうようにバラバラになっとるから箱で置いとるんよ。」
    



東  これ260年ぐらい前のものじゃゆう話じゃったよね。
今は
各家に裕福なけえ仏壇があるじゃない。ほいじゃが昔はない時にまあ講の人がね、同行ゆうのは講じゃから。
その同行でこのオソブツさんを守ってきたんよね。
青原「同行というのは、歓喜寺さんとかの集まりとは違うんですか。」
東「違いますよ。歓喜寺さんとかはお寺とかお宮とかの集まり。これは、講じゃけええ。」
                            

各家が3ヶ月ごとに当番でオソブツさんを受けて、一年によったり(4軒)で当番するんですよ。よったりでして3ヶ月づつオソブツさんを番する。3ヶ月はその家でお鉢炊いたらお鉢さんを上げるしね、お花をあげたりね自分の家の仏さんと同じようにするんですよ。 最後に12月に同行で寄ってね、 お寺さんが、お経あげるんですよ。「お寄り」っていいます。一つの組で40人ぐらいいてね約10年に一遍ぐらい当番がきますね。
 


「この青原地区全部が一つの同行じゃないんよ、
ここは下組で、上組、中の組などがあるんです、5つぐらい。その中で、早い話がここから分家すりゃあ、その人もいっしょの組になるしね、昔は分家しよったです。」
青原「じゃあ親戚。」
東「そうばっかりじゃないんよ。まあだいたいがそういうようなのが多いです。分家とか親類とかそうなのがよってね、下組は違います。」



「組の中には、お寺さん(檀那寺)が山本と祇園と長束の人もおってじゃし、西原の人もおってんですよ。主は祇園が多いですけど、私は山本です。じゃけえばらばらようね。12月のお寄りの時はね、その時に当番の家のお寺が参るんよ。山本のお寺じゃったら、山本のお寺が参って。そこの当番が祇園のお寺じゃったら祇園のお寺が参って。」



「同行」という組織は、江戸時代に成立した檀那寺と檀家の関係・寺壇制度とは無縁の組織体ようである。
武田山周辺の祇園、山本、長束、西原などの地域には、4軒ぐらい浄土真宗のお寺があり、史実によれば、
これらは、かつて真言や天台のお寺だった。しかし1400年代ぐらいにすべて真宗に転宗したという。


「オソブツさんを次の当番に渡すときにはね、ダンボール2箱の食器もいっしょに渡すんよ。その食器は、同行の家で法事や葬式があったときに当番の家から借りて使うんよ。
私が子供の時にね、武田山のふもとに焼き場があってね、人を焼くでしょ。あの時は同行の当番がやったですよ。当番で焼き場に行きよった。じゃけど今はみんな広島の火葬場へ行ったりね、私ら若い時はみな当番じゃった。大変じゃったですよ。焼ける人もある重病の人は焼けん人もある。」


驚いたことに「同行」とは葬式組のことではないか。 なにか非常に奥深いものに出くわしたようだ。

 


●2004年8月26
日 浄土真宗立専寺  広島市安佐南区東山本



武田山には南側に火山(ひやま)という山が連なる。
この火山と武田山の間の谷筋に山本地区がある。
武田山側東山本、火山側を西山本。
西山本は、近年、山肌が削られ、ニュータウンを分譲中である。




    東山本・立専寺を訪ねた。
    青原地区の「同行」をもつお寺である。







「銀山城主武田家菩提寺」とあり、山号を「武将山」といい、
くわえて住職の姓が「武田」というのだから驚きだ。
武田住職をたずねた。




青原 住職は、武田氏の流れなんですか。
武田 直接ではないですけどね。武田氏に関わりのあった寺ということですね。
一応これが当山に残っている文書としては一番古い年号が入っています。寛保年間。最初に縁起について述べられています。この縁起の部分が武田氏に関わります。


伝えによると武田山が毛利によって落城してこのお寺が荒れ果てた。それを青原地区のご門徒の方が守られたといわれています。そして正春(ショウシュン)という方がここへ来て浄土真宗のお寺を始められたと。それ以前は、禅宗の金龍院というお寺だった。
毛利に滅ぼされてお寺が廃寺となっていく。 毛利元就の隠居の場所にこのあたりが使われたようです。 要するに立専寺の前身の金龍院が荒れ果てたのもそれが関わりがあったんじゃあないかといわれてますね。

それを青原の方が、そういう状況であってもお寺がある場所だからここまで通って守られた。
だから毛利の関係、反武田。厳島神社と武田は仲悪かったですからね。 それ以後を青原の人が守られたと。 それでこのお寺とお付き合いが始まっていると。門徒と同行ですね。門徒の方は 19軒です。


青原 同行というのはどういうものなんですか。
武田 檀那寺を越えた付き合いの真宗信者です。
    私がオソブツさんを見るのは、お寄りの時。 19軒のご門徒の家は私が行きますけどそれとは別にお   寄りがある。その時にオソブツさんが、お仏壇の隣に床の間にある。
    オソブツさんゆうてどういう字じゃろうって聞くと、知らんって。だから勝手に想像しまして、
    祖先の「祖」に「仏」、それが「御祖仏さま」になったのかなあと。ゆうふうに理解しとるんですね。

 お寺には、武田の家紋・武田菱を変形させた「花菱」がいろんなところにみられる。