『芸州茅葺き紀行』(仮題)撮影快調!!

 


    
        激動する世のなかで、しかも脈々と底流するものを見つめつづける。
        その脈々と底流するものを、私たちは基層文化と呼ぶ。
        私たちは、その基層文化を映画フィルムを軸とした映像手段によって
        少しでも明らかにしよう
                                 姫田忠義著「忘れられた日本の文化」より


●2005年4月3日『雪国木羽物語』上映会  横川シネマ 広島市西区横川町

映画『雪国木羽物語』の広島上映2日目。光栄にも多くのお客さんがつめかけてくれた。
RCC中国放送の小沢康甫さんも来ていただいた。
小沢さんは根っからの宮本常一ファンで民映研(民族文化映像研究所)
の所員であった私に
以前から懇意にしてくださり広島の民俗学的に重要な地域や人々を様々紹介していただいている。
『安芸国人聞き撮り日誌』の「神田三亀男先生」や「ヤママユ」にめぐりあえたのも小沢さんのおかげである。
その小沢さんが、横川シネマに、またまたとんでもない人を連れてこられた。
西中国茅葺き保存会・上田進さん。建築士でもある上田さんは、喫茶店で熱く語る。
「映画素晴らしかったです。私は、ある時期、茅葺きの家が大変好きになりましてね、広島県の茅葺きの家々を調べ回りました。これ広島の各村々の茅葺きの棟数です。」
驚いたことに上田さんは広島県に今も残る茅葺き民家を市町村の集落ごとにこつこつ車で訪ね、住宅地図に一つ一つおとしているのである。かつて広島のいたるところで見られた茅葺き民家もトタンにきりかわったり、廃屋と化したり
1年かそこらで一気に絶滅してしまった村もあったそうだ。
「青原さん、広島の茅葺き民家が、〈芸州流〉と呼ばれる葺き方なのをご存知ですか。現在広島県には、茅葺き職人は4,5人いますが、芸州流を伝える職人は、石井元春さん一人だと思います。」




 

●2005年4月6日 芸州茅手・石井元春さんとの出会い  東広島市志和町志和堀


 
早朝7時、いきなり上田さんから電話があった。
「今、石井さんが志和の民家を葺き替えをやってます。今月ここをおえると後二軒作業があるそうです。挨拶をかねて見学に行きませんか?」
私は徹夜明けの自宅作業中だったので少々気がひけたが、出向くことにした。



広島県の中央部、東広島市志和町志和掘。賀茂台地に広がる美しい田園地帯である。









広島の茅葺き民家は、ほとんどが寄せ棟作りで、最上部の棟の部分に瓦葺の箱棟が設置されている。
志和掘には、人が生活している茅葺き民家が12棟現存している。すべて石井さんが葺き替えをこなしてきたそうだ。






土井邸で石井さんが葺き替え作業をされていた。
「どうぞ自由に撮ってくれ。
ここは、今週中に終らせて、来週から八本松、その後にまた志和掘の酒蔵を葺き替えるんよ。5月末までに終えるつもりじゃけえ。」




長身で痩せがたな石井さんは、気さくに話された。
撮影することを何の抵抗もなく快諾されたことに職人の誇りのようなものを感じた。
これは、心して撮影にのぞもうと決意した。

 

2005年4月13日〜22日 茅葺き作業  東広島市八本松町飯田

その時期、私は、ヒロシマ平和映画祭のアピール活動の準備が佳境に入り、相当過密なスケジュールであった。朝6時に起き、山陽本線で八本松駅まで行き、上田さんに現場まで送っていただき、夕方に広島に戻り映画祭の会議などに出席するというヘビーな毎日だった。
私は、民映研時代、古民家建築の映像記録4作品の編集と演出助手を携わった。川崎の日本民家園や岐阜県白川村の茅葺き作業を見てその地域によって様々なバリエーションがあることに驚かされたものである。そういう意味でわがふるさと・広島の茅葺き民家が、どのような技術で葺かれ、どのような歴史を担ってきたのかをとにかく知りたくなった。


今回の八本松の家は、コビラ(妻側)の二面を葺く目標で始まった。
志和堀の茅場から1日かけて大量の茅を運び、足場を組み、古い茅をほぐす茅ヘギをして、茅葺き作業にはいる。








根元を下にして茅束をばらしながら横へ横へ並べるように葺いてゆく。ホコ竹を置き、屋根の下地材・ヤナカに縫い針で縄を通し、結束する。








軒先には、さらに茅を積み上げ、ホコ竹合計3本分の層の厚みを作っていく。そこから一気に棟まで葺きあがっていく。








そして足場タルキを落としながら、ハサミできれいに仕上げていった。ここまでで6日間かかった。






軒下のはさみ入れの日、早朝6時石井さんの奥さんから電話があった。
        「ああ、青原さん、うちの人がね、 昨日夜けいれんを起こしてね、
                   今日は、中止にして病院にいくことにしたの」

石井さんは、4年前に心臓病の手術をされ、その後は身体にペースメーカーを入れたままの状態で茅葺きを続けてこられたのである。






はさみ入れ作業のおりにも、少し切ったら休み、少し切ったら休みというペースで続けられていた。




幸いにもこの日は大事にいたらなかったので翌々日から作業が再開し、無事コビラ一面が完成した。


ところが2日後、石井さんは、圧迫骨折と診断され1ヶ月療養されることとなった。
なんでも自宅で苗箱を運ぶ時に無理な動きをされたらしい。
予定されていたもう一方のコビラ面の葺き替えは1ヶ月延期となった。



 
   伝統的技術の危機的状況を目の当たりにする体験だった。
              石井さんには、本当により早い回復を願うしだいである。

         


  作業の詳細や「芸州流茅手」の歴史については、このたび非常に奥深い見聞を得た。後日、記すこととする。